ノートルダムの鐘

劇団四季 新作ミュージカル『ノートルダムの鐘』

愛は「宿命」を変えられるか
世界の光と闇の中で、それでも人は、明日を祈り、生きる。

ノートルダムの鐘

Michael Arden and Ciara Renée
Photo by Jerry Dalia
©Disney

3人の男性が一人の女性を愛する「愛憎の四角関係」を描いたヴィクトル・ユーゴーの小説
「ノートルダム・ド・パリ」。1923年ロン・チェイニーが主演した無声映画に始まり、数多くの舞台作品、そしてディズニーのアニメーションに至るまで、この物語は、クリエイターたちの創造力を掻き立て、また多くの観客に感動と気付きを与えてきました。
しかし、なぜここまで人々の心を掴むのでしょうか。それは、物語が、“人生や社会の光と闇”を描く中で、その先にある“希望”を謳っているからに他なりません。

ユーゴーは小説の序文で、執筆のきっかけを以下のように記しています。
「この物語の作者がノートル=ダム大聖堂を訪れたとき(略)作者は、塔の暗い片隅の壁に、つぎのようなことばが刻みつけられているのを見つけたのである。

ANAΓKH(宿命)
(略)私はいぶかった、解き当ててみようとつとめた、この古い聖堂のひたいに、罪悪か不幸かを表わすこのような烙印を残さずにはこの世を去っていけなかったほどの苦しみを味わったのは、いったいどんな人間だったのだろうか、と」

人間は、無慈悲で不公平な世界で、“宿命”のままに生きなくてはならないが、それでも人は一縷の望みを抱き、“明日”を祈り生きていかなくてはならない―ユーゴー自らがその“宿命”と対峙し、抗うかのように書き上げた20万語に及ぶこの大長編は、私たちに突きつけられた問題提起ともいえるのではないでしょうか。

さらにこの物語からは、「人生と社会において、人は、自らの仲間にない他者とどう向き合い、関わっていくのか」という一歩踏み込んだ具体的なメッセージも感じ取ることができます。
ユーゴーは登場人物たちに、美と醜、愛と欲、善と悪など、全く相反する二つの特徴を持たせて、記号的ではない複雑な人間らしいキャラクターを造型しました。彼らの行動は、真逆の心情の間を行き来することによって動機付けされ、結果、他者との関係性に様々な影響を与えていくのです。カジモドという他者を“怪物”と捉えるか、“人間”と捉えるか―程度の差こそあれ、同様の選択は、日頃は私たちも行っていることでしょう。

嘘偽りのない人間ドラマ『ノートルダムの鐘』。そのテーマとメッセージは、今日、より一層の重い響きを与えます。これは、まさに現代を生きる私たちの物語なのです。

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