【3.0レポート】「ローマの休日」
「ローマの休日」
有名すぎる「ローマの休日」、1953年ウィリアム・ワイラー監督により製作されたアメリカ映画で、あのオードリー・ヘップバーンを一躍スターにした世紀を越えて愛され続けている映画、当時は1950年代は米ソ冷戦時代でアメリカでは赤狩りが行われたが、これは1930年代に遡る。この時代は共産主義はアメリカの理想主義の若者の間では人気の思想だったが、第二次世界大戦の終わり頃、ソビエトが東欧や中欧を弾圧したため、次第に共産主義は敵、とみなされていく。1947年には共産主義者との疑いをかけられた人物は破壊分子とみなされ、映画産業界で働いていた何人の脚本家、俳優、映画監督が非米活活動委員会によって呼び出された。元共産党員だったエリア・カザンは証人となり、司法取引に応じ、友人の劇作家や演出家ら11人の名前を同委員会に表したとされている。招集状が発せられたのは10人、基本的人権を根拠に証言したり召喚されたりするのを拒んだ。彼らはハリウッド・テンと呼ばれ、1948年に侮辱罪で有罪判決を受け、最高裁に上訴したものの成功はせず、1950年に半年ないし1年の実刑を受けた。このハリウッド・テンと呼ばれる10人は以降、かなりの長期間にわたってアメリカの映画・テレビ業界で働くことが出来なかった。さらに1952年、全米俳優組合は映画スタジオに対して身の潔白を証明出来なかった人物はスクリーンから名前を削除される権威を与えられた。この映画「ローマの休日」で1953年アカデミー賞脚本賞を受賞したイアン・マクレラン・ハンターは名義貸しで、実はハリウッド・テンの1人のダルトン・トランボであったというのは著名な話である。この舞台版はそういった背景を押さえた内容となっており、主人公のジョーに投影している。
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