その初期の時代は疫病や遭難、難破等で生存率は20%にも満たなかったが、頑丈なキャラック船やキャラベル船が作られるようになり、またイスラムを介して羅針盤(11世紀、中国の書物『夢渓筆談』に記述されたのが最初らしい)が伝えられ、外洋航海が可能になった。イスラム勢力の衰退、スペインの北アフリカ進出、新航路が開発され、新領土を獲得、莫大な利益がもたらされることが実証されると“早い者勝ち”といわんばかりに人々は競争心に煽られ、ポルトガル、スペインを中心に航海ブームが吹き荒れた。歴史の教科書でおなじみのジェノバの商人・コロンブスはバルセロナから西に出発し、1492年にバハマ諸島に到着、翌年にスペインに帰還して西インド航路を発見したと宣言。またスペインの命を受けたマゼランは1519年にセビリャを出発、1520年にマゼラン海峡を通過して太平洋を横断、1521年にフィリピン諸島に到着した。マゼランはマクタン島で殺害されてしまったが、部下のエルカーノは1522年にセビリャに帰還、地球が球体であることを実証した。ちなみに出発時は265名であったが、帰ってきたのは18名だったそう。
しかし、ほかのヨーロッパ諸国が後発ながらも海外進出を始め、危機感を感じたポルトガル、スペイン両国はローマ法皇に依頼し、1494年にトルデシリャス条約、1529年にサラゴサ条約を締結する。