ミュージカル『壁抜け男』

劇団四季が待っていたフランスの香り

ミュージカルといえば、ニューヨークのブロードウェイ、ロンドンのウェストエンドが主流ですが、ついに芸術の都パリからヒットミュージカルが生まれました。それはミシェル・ルグラン(音楽)、ディティエ・ヴァン・コーヴェレール(脚本)、アラン・サックス(演出)の3つの才能の結晶とも言えるミュージカル『壁抜け男~恋するモンマルトル~』。
1996年11月にパリのブッファ・パリジャン劇場で幕を開け、フランスの演劇界では異例ともいえる、1年2ヶ月間のロングランを記録。頑固なまでにミュージカルを受け付けないと思われていたフランス人を魅了することに成功しました。2002年10月には、題名「Amour(アムール)」と改題され、ブロードウェイにも進出しました。
ご存じのように劇団四季の出発点は、アヌイとジロドゥに代表されるフランス演劇です。ファンタジックで楽しさあふれるミュージカルとはいえ、フランスの芝居が持つ小粋で洗練された雰囲気と、一抹のほろ苦さをも漂わせる『壁抜け男』は、まさに劇団四季が待ち望んでいた“歌う芝居”ということができるでしょう。

音楽の宝石箱 ~ ミシェル・ルグラン ~

『壁抜け男』は全編に渡って、あの『シェルブールの雨傘』で有名なミシェル・ルグランの素晴らしい音楽があふれています。その数およそ30数曲。主人公はもちろん、役者の台詞のすべてが歌であり、観客はルグランの変化に富んだ音符にのせられた、ウィットの効いた言葉の世界にどっぷり浸ってしまいます。
ミシェル・ルグランは、1932年パリ生まれ。彼の音楽的才能は早くから認められ、パリ音楽院を首席で卒業しました。ミシェル・ルグラン楽団を組織し、ジャズのセンスを生かして<パリ・カナイユ>を大ヒットさせ、ポップス界に躍り出たのです。ヌーヴェル・ヴァーグの人々と親交を深め、映画にも進出。ジャン・リュック・ゴダールとは、初期の「女は女である」(61)、「女と男のいる舗道」(62)、「愛すべき女・女たち」(67)などで協力しています。また、ノーマン・ジュイソン「華麗なる賭け」(68)では軽やかなジャズセンスが発揮され、〈風のささやき〉はアカデミー主題歌賞に輝きました。クロード・ルルーシュの大作「愛と悲しみのボレロ」(81)はフランシス・レイとの共作。「思い出の夏」(71)は不朽の名作として輝いています。また、親日家としても、有名で市川昆「火の鳥」(78)の主題歌も担当しました。ジャック・ドゥミとの仕事はよく知られており、「シェルブールの雨傘」(64)、「ロシュフォールの恋人たち」(66)、「ロバと王女」(70)、「モン・パリ」(71)、日本資本の「ベルサイユのばら」(80)でも共作しています。

マルセル・エイメとパリ・モンマルトル

『壁抜け男』の舞台は、戦後まもなくのパリ・モンマルトル。原作者マルセル・エイメ自身も、1930年代から67年に亡くなるまで、この丘で暮らしていました。
当時のモンマルトルは、パリ市内ながらのどかな田舎の雰囲気が漂い、また家賃も安価だったため、ピカソやユトリロといった若い芸術家たちや、地方出身者、低所得労働者などが数多く暮らしていました。
けっして裕福ではないものの、人情に厚く、助け合いの精神にも富んでいたモンマルトルの住民たち。エイメ自身もこの町をとても愛したといいます。個性豊かな登場人物と美しい作品世界。『壁抜け男』
には、古きよきモンマルトルで過ごしたエイメの経験が色濃く反映されているのです。
なお、彼が住んでいたアパートの前は現在、“マルセル・エイメ広場”と名付けられ、その端には、彫刻家ジャン・マレーによって手がけられた「壁抜け男」の彫像があります。死後45年以上を経ても、エイメは、モンマルトルの人々の心に息づいています。

『壁抜け男』上演記録

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2.5news(編集部)

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