学級裁判のシーンは俳優が裁判台の上を歩いて移動、時として柵を乗り越えたり、柵の上に立つ。いままではそういったことはなかったが、あえてそうすることによって裁判での発言が生き生きと見えてくる。台詞が際立つばかりではなく、その中での”立ち位置”もビジュアル的なアプローチを施してわかりやすい。さらにカメラで発言者を抜いて中央画面に大きく映し出すことによってクローズアップ、映画的な、ドキュメンタリータッチな表現をかけあわせているにも関わらずしっかりとした演劇シーンとなっていた。さらにこの作品の大きな見どころ、”おしおき”、これが”完全なる人力”表現、”おしおき”は死である。しかし、どのキャラクターも”おしおき”で死が訪れる間際に一瞬の煌めきがある。死と生は隣り合わせ、その煌めきにキャラクターの生き様が見える。その煌めきを”モノクマダンサーズ”が後押しする。最初におしおきされる宮下雄也演じる超高校生級の野球選手・桑田怜恩、そのおしおきの動きはまさに”野球”、その後に続く”おしおき”もまたキャラクターをリスペクト、凄惨な場面には違いないのだが、その輝きに”生きる”ことの真意を見る事が出来る。
次々と明るみになる真実、その中でキャラクターは変化を遂げる。生き残る者、死ぬ者、この状況下で心の中に変化が生まれる。誰かを殺さないと生き延びることは出来ないというのに、絆が生まれる。同じ境遇の者同士の連帯感という簡単な言葉ではいい表せない。誰かのために命を投げ打つ、誰かのために死を選ぶ、この究極の選択、命とは、人はいかに生きるべきか、描かれているテーマは重く、普遍的だ。脚本もアウトラインは初演と同じではあるが、ところどころ台詞に厚みを持たせ、この重いテーマを観客にはっきりと提示する。