日本が誇る世界的な演出家・蜷川幸雄氏が他界してから1年が過ぎたが、5月15日、一周忌が彩の国さいたま芸術劇場で行われた。朝早くから報道陣が詰めかけ、その巨匠の影響力を感じる。まずは故人にまつわる小道具、大道具類が展示されている大稽古場にて撮影会が実施された(展示はこの日のみ)。5月14日まで上演されていたGEKISHA NINAGAWA STUDIO公演「2017・待つ」の舞台美術にもなっていたもので、大きな蓮の花や水槽、魚を模したオブジェなど、これまで蜷川作品を彩ってきた道具たちだ。客席中央はいわゆる“演出家”の席が設置され、氏が愛用したカップ等がリアリティを持って並べられている。使い込んだバッグ、椅子、なんだかご本人が時間になったらやってくるのではないかという錯覚に陥るような雰囲気。それから一周忌の祭壇の撮影、舞台中央に遺影が掲げられており、やはり1年経ってしまったのか、とここで現実に。
それからメモリアルプレートの除幕式が執り行なわれた。故人にゆかりのある方々が集まり、まず副知事の飯島寛さんが知事の挨拶を代読した。彩の国芸術劇場の芸術総監督が蜷川幸雄氏であったが、その独自の演劇活動ではさいたまゴールドシアターやさいたまネクストシアター等があげられる。妻の蜷川宏子さんは「亡くなってから、あっという間というか、長かった1年」とコメント。さらに「“蜷川さんのDNAは娘さんとお孫さんに引き継がれていて、もう船出してる”とある方が書いて下さって………なるほどと……市村さんとか、いろんな方にバトンタッチされていくことが本当に幸せです」と涙ながらに語った。
プレートには蜷川幸雄氏の写真に故人の言葉、プレートの下は台本や文房具等が展示品として飾られている。プレートの写真は平成27年の「NINAGAWA・マクベス」の公演時に蜷川実花氏(故人の長女)が撮影したもの。記銘の言葉は「最後まで、枯れずに、過剰で、創造する仕事に冒険的に挑む、疾走するジジイであり続けたい」。市村正親さんは「この言葉は僕へのダメだし」とコメント。「蜷川さんの魂を背負っている俳優はたくさんいる。彼らと一緒にあの罵声に負けないパワーの芝居作りを」と語った。また癌になったことを蜷川氏に報告した際、「芝居も変わるよ」と言われたとコメント。また台本にサインをもらったことも明かし、「今度は“よく頑張った”って書いてもらいたい」とコメントした。さらに「「ハムレット」も「リチャード三世」も(蜷川さんから)“俺を納得させてくれ”と、演出家にとにかく見せなきゃいけない」と思い出話を。そして「疾走じゃなくって暴走するくらいの演技を(笑)」と居合わせた取材陣を笑わせた。
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