劇団四季と中国の文化的交流の歴史
劇団四季と中国の関係にはとても長い歴史があります。きっかけは浅利が佐藤栄作首相と周恩来中国首相の指示を受け、国交回復前の1972年7月に、旧日生劇場制作部のメンバーを中心に設立した日本ゼネラルアーツで《中国上海舞劇団》(孫平化団長)招聘を実現したことから始まりました。
1986年には中国政府文化部が派遣した視察団が、当時大阪で上演していた『キャッツ』を視察。さらに1988年には、中国政府文化部からの要請で、日中平和友好条約締結10周年を記念したミュージカル『ハンス』(現『アンデルセン』)北京公演が実現します。日本人のキャストと中国人のオーケストラによるこの公演は、中国における初めての本格的なミュージカル公演となりました。
1991年には、四季オリジナル作品『ミュージカル李香蘭』が日本初演を迎えました。李香蘭の半生を通して、当時の日中両国の思惑や出来事を、イデオロギーに偏ることなく歴史的事実に忠実に描いたミュージカルとして中国内でも大きな話題に。翌1992年、四季は中国政府に招聘され、日中国交正常化20周年の記念公演として、約一ヶ月に渡り、中国4都市(北京・長春・瀋陽・大連)で『李香蘭』を上演しました。中国語の同時通訳ガイドを使用し、一部中国語の歌唱も入れた公演は、どの地でも熱狂的な歓迎を受けました。
その後、四季は、周恩来元首相によって設立された中国を代表する演劇大学「中央戯劇学院」への支援活動を開始。この学院の教授など指導者約100名を日本に招聘して公演の鑑賞や劇場施設の視察、稽古見学などをアレンジしたほか、学内規模の公演に四季の指導者が直接出向いて指導することもありました。その結果、1995年には学院の中に中国初の試みとなる「ミュージカル専攻科」が誕生。さらに1996年、劇団四季の全面的な協力で、中央戯劇院の学生によるミュージカル『人間になりたがった猫』の日本公演、北京公演が行われました。このとき四季は、作品の全版権を無償提供し、ミュージカル専攻科の学生と指導者を日本に招聘し、集中的な稽古を行いました。高いレベルの指導と学生たちの真摯な努力が実り、日中両国の公演は大きな成果を上げています。
一方、中国最大の観客動員力を誇る「中国児童芸術劇院」へも有形無形の協力を続け、1995年にはファミリーミュージカル『はだかの王様』の上演を全面的にバックアップ。版権の無償提供や、俳優やスタッフの指導、衣裳のレンタルなど全面的な支援活動を行いました。今では同劇院の主要なレパートリーとなっています。
他にも中国政府文化部の幹部候補職員の研修を受け入れるなど、多彩な交流を続けた功績によって、四季前代表の浅利慶太は、中国政府から1996年度の「友誼賞」を受賞。この賞は中国に貢献した外国人に贈られる国家級の栄誉ある顕彰で、文化人初の受賞でした。
1999年、中華人民共和国建国50周年、中日文化交流協定締結20周年、1999中日文化友好年を記念して、中国対外文化交流協会の主催、中華人民共和国文化部、日本駐中国大使館と日本国際交流基金の後援、劇団四季と財団法人舞台芸術センターの製作協力およびソニー株式会社の協賛により、ディズニーミュージカル『美女と野獣』の上演が決定。中国初の中国人俳優による中国語でのディズニーミュージカル上演が実現しました。これまでの交流の成果が結集されたと言ってもいい公演は3ヶ月のロングランを記録しています。
2006年、日中友好関係のさらなる発展と両国国交正常化35周年に向けて行われた「中国文化フェスティバル」(中華人民共和国文化部、中華人民共和国駐日本国大使館 主催)に、劇団四季は東京・浜松町の四季劇場[秋]の舞台を提供。このイベントには、由緒ある国家級話劇院である北京人民藝術劇院の他、上海バレエ団、中国雑技団など中国国内でトップの実績を誇る団体が来日し、日本国内で大きな反響を呼びました。
2008年には、北京人民藝術劇院による浅利慶太演出『ハムレット』上演へ協力。劇院としては初となる日本人演出家によるシェイクスピア上演は、「英国が発明し、日本が加工し、中国が製造した」と称賛を受けました。2009年には再演され、さらに2010年には、日本国内での両劇団による連続交互上演が実現しています。
劇団四季と中国との交流―それは長きに亘って、日中の「文化の時計」を進める原動力であり続けてきたのです。
2025年2月をもって、建て替…