倉田:実際に舞台化するにあたり怖くなり、“どうしよう”と言って踏みとどまってしまってから10年ぐらい経ってしまいました。2015年、ちょうど戦後70年の年に『アドルフに告ぐ』をやらせて頂きましたが、実は前の座長である河内喜一朗(故人)が『アドルフ~』の初演が終わった段階で「これは絶対に再演しなければならない」と。「もうじき(戦後)70年になるから、その機会にもう一回やろう」って手塚プロダクションと4年前から話をさせていただきました。戦後70年での『アドルフ~ 』上演で終わりにしてはいけない、そのエネルギーを引き継いで……じゃあ次に何をやろうかと思った時に、怖くなって踏みとどまっていた『エッグ・スタンド』を“よし!じゃあやってみよう!”と、やっと踏み込みました!
倉田:もう、本当に。先生がお作りになったキャラクターが、凄い絶妙なバランスで!あの時代に一度戦争に行って、地獄を見て……時代とその状況に抗うだけの人生経験があり、非暴力のアンチテーゼで行動しているマルシャン、そして、思春期のルイーズはただただ時代を受け入れるしかない、ましてや自分はユダヤ人という特殊な状況で、時代の中で受け入れていくしかない翻弄される立場の人間、ラウルはもう何も考えるまもなく、(時代に)飲み込まれてしまう少年……“じゃあ、どうやって生き抜くか”っていう本能を持つ……この3人のキャラクターの設定が絶妙だと思って。あと、いろんな人達が現れますが、それぞれの人生を背負っていて。あの時代の中でみんな、それぞれの居場所、非常に歪んだところにたってる人達……マルシャンは抗う道を持つ大人、ルイーズは時代や状況に翻弄される女の子、ラウルは時代に飲み込まれていってしまった少年……構造・構成・関わり方……この織りなし方が、本当に凄い作品です。
倉田:もう本当に!魅力にあふれていますね。それがたった100ページの中に凝縮されていているっていう凄さ!
倉田:舞台装置は何もない空間っていう感じです。もちろん、ベースのものはありますが、ボックスが転がってたり、でも本当に何もない空間で、役者達……言葉が際立つ、っていうことを目指しています。ただ、舞台美術家が“黒いヒヨコ”をどうしようかと、どう表現しようかと、“あの絵にはかなわない”と。だからと言って、ああいうのが出てきちゃうと、たぶん説明的になるし、と思って、天井にひとつオブジェを作ってくれました。実はそれが凄く見どころだと思っています。何もない空間で役者が力量を試される、あと美術家の創意工夫の天井のオブジェ、そのふたつが見どころですね!
倉田:1984年は今程、世の中がきな臭くなかった、みんながそう思っていたそんな時に、先生は思うところがあってお書きになった作品なんですが、作品にやっと時代が追いついてきたかなと。このきな臭い、ちょっと怖いなっていう世界だからこそ、逆にやる意味があると思いますし、そういう時代じゃなくっても、世の中が上向いている時にお書きになったこの作品は、その中に普遍があるからこそ、今、やる、この時代だからこそ、やる意味があると凄く思いますね。イデオロギー、そこに人間の感情もあるので、そこに沿っていけば。作品の中で反戦なんて言葉は一言も使ってないのに、ひしひしと悲惨なこと、いやだっていうことが自然に浮かび上がってくる、そのことを劇場にいらして下さったお客様と共有させてもらえたらいいなと思います。心の片隅で、そっちの方向に流れるのはやめようよってみんながだんだん思っていけば、いつかは流れも変わってくれる、そうなるといいなって。
倉田:はい。ただ、悲惨な状況の中でマルシャンがラウルに言う言葉で「戦争は地獄だ」というようなことを……「これは神様が人間に対する罰か何かかも」と言い「心の中にある欲望か何かの炎が……とめどなくもえひろがる大火事だ」と、そして「平和は平和の中にしかない」と。本当にそう思いますね。
倉田淳(くらたじゅん)
スタジオライフの脚本家であり演出家。‘76年演劇集団「円」研究所の第一期生として入所、芥川比呂志に師事し、‘80年まで演出助手を務めた。‘85年に故・河内喜一郎と共にスタジオライフを結成。英国の演劇事情にも通じており、‛97年よりロンドン、ニューヨーク、日本で日本人俳優のためのアクターズ・スタジオ正会員講師によるワークショップを企画、開催している。
2025年2月をもって、建て替…