『ロミオとジュリエット』の舞台はヴェローナであるが、物語が始まる前にスクリーンいっぱいに映像が映し出される。飛行機、爆弾……戦争の資料映像である。イタリアの中世のヴェローナではなく、どこか、架空の都市のようである。黒い帽子に黒い衣裳のダンサーが登場、“死”を表現するが、もちろん原作には登場しない。幕があくと無機質で立体的なセット、後方のスクリーンに映し出されるビル群の映像、これがこの物語の“ヴェローナ”という訳である。2つの勢力が争っている様をダンサー達が激しい直線的な動き、HIPHOP、バレエ等をベースにした群舞で表現し、大公が登場し、歌う。争いが支配する街、それが当たり前。その中で悲劇は起こるが、このプロローグは“このどうしようもない悲しい出来事は起こるべくして起こったのだ”と思わせてくれる。
ストーリーは基本的には原作通りであるが、登場人物は極めて現代的なニュアンスを含ませ劇的効果をもたらす。ロミオの友人達はさしずめ、ニート、街をうろつく“ヤンキー”だ。対するキャピュレット家のティボルトとその取り巻きもなんだか柄が悪そうで言葉遣いも荒っぽい。キャピュレット夫人は夫と愛のない結婚をしており、ジュリエットは不倫相手との間に出来た娘、キャピュレット卿もそのことを知っている、という設定だ。ティボルトは幼い頃から従姉妹のジュリエットに恋しているが、彼女の方は全くその気がない。携帯電話(スマホ)も普及しており、メールやラインでやり取りしている。このスマホは単なる小道具止まりではなく、教会で秘密に結婚式をあげたロミオとジュリエット、その現場をひょんなことで見られ、拡散されてしまう。もちろん原作にはないが、周囲の知るところとなって憎しみを増幅させる“装置”となっている。